2026年のミラノ・コルティナ冬季五輪で、日本選手団の旗手という大役を担うことになった
スピードスケート男子短距離のエースとして活躍する、森重航。
北京五輪銅メダリストとして知られる彼は、なぜここまで日本スピードスケート界を代表する存在となったのか。
その競技力、歩んできた道、そしてミラノ五輪に懸ける思いを紐解いていきます。
森重航のプロフィールと競技スタイル
森重航は2000年7月17日生まれ、北海道別海町出身。
専門種目はスピードスケート男子500メートルで、
日本の「お家芸」とも言われる短距離種目を支える現代のエースです。
身長175cmとスプリンターとしては標準的ながら、最大の武器は圧倒的に安定したコーナーワーク。
氷に吸い付くような滑りと、減速を最小限に抑える技術は、長野五輪金メダリストの清水宏保氏からも
「中に鉄の棒が一本入っているような安定感」
と評されるほどです。
北京五輪で示した“世界と戦える力”
森重の名を一気に世に知らしめたのが、2022年の北京冬季五輪。
男子500メートルで銅メダルを獲得し、日本スピードスケート界の次代を担う存在として注目されました。
初出場ながら大舞台で結果を残した背景には、極限の集中力と「失敗を恐れないメンタル」があります。
本人は「完璧に滑れたレースは一度もない」と語りますが、その自己分析力こそが成長の原動力となってきました。
別海町の手作りリンクが原点
森重航の競技人生を語るうえで欠かせないのが、故郷・北海道別海町の存在です。
人口約1万4000人、酪農が盛んなこの町には、通年のスケートリンクがありません。
冬になると、保護者たちがトラックで水を運び、屋外の手作りリンクを徹夜で完成させる。
氷点下15度にもなる過酷な環境の中で、森重は毎日のように滑り込みを繰り返しました。
この“急カーブのリンク”で培われた感覚こそが、
「世界トップクラス」と称されるコーナリング技術の原点です。
ナショナルチーム離脱という大きな決断
北京五輪後、森重は大きな決断を下します。
それは、ナショナルチームを離れ、少人数制の新チームを立ち上げること。
「前回を超えるには、同じことをやっていてはダメ」
そう考えた森重は、短距離に完全特化したトレーニングを選択しました。
その成果は数字にも表れ、全日本選手権では国内最高記録を更新。
ワールドカップでも再び表彰台に立ち、最大のライバルであるジョーダン・ストルツ(アメリカ)と互角に渡り合う存在となっています。
W杯途中棄権に見えた“エースの判断力”
ミラノ五輪直前のワールドカップ最終戦では、レース途中での棄権という決断が話題になりました。
2日前の転倒で外壁に激突していた影響を考慮し、
「フォームを崩すより、オリンピックのために出ないでおこうと思った」
と語った森重。
「2~3日で回復する」と冷静に状況を見極めた判断には、エースとしての成熟が表れています。
ミラノ五輪で旗手に選ばれた理由
ミラノ・コルティナ五輪では、日本選手団の旗手を務める森重航。
その理由は、単なる実績だけではありません。
-
日本の短距離を背負う象徴的存在
-
若手ながら発信力と責任感を備えたリーダー
-
国際舞台での安定した成績
これらを兼ね備えた存在として、「日本の顔」にふさわしいと評価されました。
本人も
「前回は開会式に出られなかったので、今回はみんなで歩きたい」
と笑顔を見せています。
亡き母への誓いと家族の支え
森重は8人きょうだいの末っ子。
高校・大学時代、父は練習のために月3000km以上車を走らせたといいます。
2019年、大学1年の夏に母を亡くしたことが、彼の競技人生を大きく変えました。
「母が亡くなってから、スケートに気持ちが入った」
という言葉どおり、その後の飛躍は目覚ましいものでした。
北京五輪の銅メダル、そしてミラノ五輪への挑戦。
その根底には、家族への感謝と「次は真ん中に日の丸を立てたい」という強い思いがあります。
森重航はどんな選手なのか
森重航を一言で表すなら、
「環境に恵まれなくても、工夫と覚悟で世界と戦うエース」。
派手な言動は少なく、常に冷静。
しかし内には誰よりも強い闘争心を秘めています。
ミラノ五輪の男子500メートルは、日本時間2月15日未明にスタート予定。
4年間のすべてを懸けた滑りが、再び世界を驚かせる瞬間は、もうすぐそこです。



